諺『笑う門には福来る』とは引き寄せの法則です
古くから伝わる諺(ことわざ)には真理のエッセンスが詰まっています。真理のエッセンスが詰まっているからこそ『ことわざ』として成り立っている、という見方もできます。
真理というと大げさに見えるかもしれませんが、一度気が付いてしまえば、こんなにシンプルなものはありません。むしろ「シンプル過ぎて気が付けない」に近いのです。
『笑う門には福来る』
これは「笑う」から「幸福」がやって来るんだよ、です。
「幸福」が来てから「笑おう」じゃないのです。
言わば『引き寄せの法則』ですね。
こんなにシンプルなのに、何故実践できないことがあるのでしょうか。また「シンプル過ぎて気が付けない」とはどういうことなのか。今回はその点を見てみましょう。

何故「幸福」が来てから「笑おう」とするのか
世の中の多くの人は〈現実〉とは「自分の周りに映し出されているもの」を指しています。
そして、現実がAなら、Aに対応した思考や感情になる。現実がBなら、Bに対応した思考や感情になる、と、現実に自分を合わせるのが一般的です。
しかし一般的とは、時に真理とはかけ離れている場合があります。
諺(ことわざ)をふり返りましょう。
『笑う門には福来る』
Aの思考や感情になれば、現実もAが来る(引き寄せられる)と、諺は教えてくれています。
では何故こんなシンプルなことの実践が難しいのでしょうか。
それは「大きな世界の中に小さな私が居る」という認識がなされている為です。その認識が、もはや変えがたい固定概念と化しているので、疑うことすら難しい状態。
「私が笑ってもべつにすぐに良いことがあるわけでも、あったわけでもないし」
こうやって、さらに私を小さく、そしてさらに世界を〈私には変えられない関係のない大きなもの〉と認識することで、自ら難しい状況を創り上げ続けています。
見る角度を変えれば、本来望んでいるものとは真反対の『悲しい門には不幸来る』を実践し適応し続けている状態です。シンプルな真理は変わらないのに、適応するものを間違えている為、気が付いていないし、気が付けない〈負のスパイラル〉に陥っています。
シンプルなものを、シンプルに適応している。
但し「望みとは逆に」です。

罠になるのは〈時間〉という概念
「はい、笑いましたよ。じゃ、福はいつ来るの?」
もしこのように、あなたが〈時間〉という概念を採用すると、望んだ状態になるのは難しくなります。100%ないわけではないのですが、多くの場合、望んだ結果は得られません。
ここを思い切ってシフトする必要があります。
つまり『時間というものは存在しない』と認識を変えてしまいましょう。
「ないなんてあり得ない!」と思われたあなたに質問をさせてください。
あなたが〈今〉居るのは5分前ですか? それとも5分後ですか?
あなたが〈今〉以外に居たことは、これまでただの一度も無かったのではないでしょうか?
そしてこれからも、あなたが〈今〉以外に居ることは、あり得ないのではないでしょうか?
昨日のことを思い出すことはできます。
しかしそれも〈今〉思い出しているに過ぎません。
明日のことを想像することはできます。
しかしそれも〈今〉想像しているに過ぎません。
『笑う門には福来る』
これについてシンプルに実践できないのであれば、次の二点を覚えておくと役立ちます。
1つ目。
「大きな世界の中に小さな私が居る」のではありません。
『大きな私の中に小さな世界がある』のです。
2つ目。
時間という概念を疑ってみてください。
見抜くことが難しい場合には「今以外にいること」を潔く諦めてください。
永遠に〈今〉しかありません。
これまで常識として疑わなかったことを見つめ直すのは、慣れないこともあると思います。
こうも考えてみましょう。
何故に、諺として、時代を越え受け継がれていくのか?
それは単に慰めの言葉ではなく、シンプルな真理のエッセンスが詰まっているからです。
ここを思い切って信頼してみましょう。
良薬口に苦し、慣れないのは最初だけ。
あなたの認識が変われば、世界のありのままの姿を観ることができます。
世界も、あなたに、シンプルに観てもらいたがっています。
笑いましょ、今ここで。

思い出そう
- 諺(ことわざ)には、真理のエッセンスが詰まっている
- こねくり回さずに、シンプルに実践すること
- 本当のあなたは世界よりも大きいし、時間なんてものは存在しない