リラックスや寛ぎとは、ここに現れるもの
お風呂でゆっくりと寛ぐ時、あるいは温泉に浸かって何も考えずにリラックスしている時、それは「何かのため」という手段ではなく、目的そのものと一体化しているのを、あなたは自然と感じているかもしれません。
日常のお風呂では、忙しなく「早く入らなきゃ」と考えてしまうこともあるかもしれませんが、旅行での『温泉』と置き換えて頂けると、伝わりやすいと思います。
多くの人の、多くの日常は、全てが「何かのため」の行動になっています。AはBの為の準備、BはCの為の準備、CはDの為の……と、常に「未来の」何かに繋がっているかのように、思い、考え、動きます。
ゆったりと、ただ湯船に浸かっている時は、そうではないことを感じられるでしょう。
リラックスや寛ぎとは、行っていることが何かの手段ではなく、目的そのものと一体化している時に、ここに現れるのです。
「現れる」といっても、隠れていたわけではありません。あなたが思考によって、隠していたのです。

求めると得られないのは、すでに在るから
疲れていると、リラックスできる時間や場所を探そうとします。
寛ぎも同じように、寛げる人や環境を求めるでしょう。
しかし、よくよく考えてみてください。
地理上、あなたが温泉地に出向いたとしても、どれだけ時間を掛けて恋人に会いに行ったとしても、あなたが居るのは、常に『今ここ』ではないでしょうか?
この点をよく見てみてください。
周りの風景や、目の前の人は変わるかもしれませんが、あなたが『今ここ』に居ることは、ずっと変わらないということに、気が付いてみてください。
あなたが「疲れた」と思う時も「ゆったりできる」と考える時も、常に同じです。
ということは……
場所や環境などは、キッカケにしか過ぎないのです。
あなたが寛いでいる時『今ここ』に寛いでいます。
あなたが疲れている時は、それを忘れているだけです。
リラックスや寛ぎは得るものではなく、常に『今ここ』にあって、隠れている(ように見える)だけです。
あなたが「何かのために」をやめた時、それは現れ(たように見え)ます。

「何かのために」をやめてみる
日常を過ごすあなたは、常に「何かのために」から離れられない Doing です。
手段ではなく、目的そのものの『今ここ』に寛いでいるなら、Being です。
あなたは常に Being なのですが、日常の忙しなさによって、忘れがち。
Being で在ること、それに気が付いていることが、自分自身へのヒーリングであり、また現実的な観点から考えても、美容や健康に素晴らしい効果を発揮します。
あなたが「欲しい」と思うもの全ては、あなたの内側にあるので、探すと見つかりません。
それは、温泉に浸かりながら、リラックスできる他の何かを探すようなものです。
瞑想とは取り組みではありません
「温泉に浸かりながら、リラックスできる他の何かを探す」のを『やめる』ことです。
常に『今ここ』に在ると、気が付くことです。
言葉で説明はできますが、それは説明にしか過ぎません。
温泉についてを説明するのと、実際に温泉に入るのは、全く違います。
実際に瞑想をして頂けると、このことがスッと腑に落ちます。
温泉の良さを口頭で説明するのは難しいですよね。
瞑想も、少しそれに似ているかもしれません。

思い出そう
- リラックスや寛ぎとは、得るものではなく、現れるもの
- それは常に『今ここ』に在るが、あなたがそれを覆い隠している
- 瞑想は、それに気が付くのに役立つ