意味の違う同じ出来事から「本質に気付く」こと

今日はまた不思議なタイミングが重なった一日になりました。
それぞれ接点のない友人二人から「会社を辞めた」報告を受けたのです。

一人は(仮に A さんとしておきましょう)本人ではなく、A さんが勤めていた会社の社長さんから、それを聞かされました。A さんがそこに勤めることになった流れに、僕が協力していたこともあって「ちょっと相談したいことがあるのだけど」という連絡を受け、退職の旨を知りました。

雇用側からすれば、決して好ましいとはいえない退職だったこともあり、再度僕が間に入らせてもらい、A さんとの連絡を取り持ちました。A さんなりの理由と正当性があるのは十分に察しましたが、それでも根底に感じたのは「ありのままの自分、今の現実を受け入れるのは難しい」といった『逃避』だったのではないかと。

もちろん、逃避の全てが悪いわけではありません。時には逃げるという選択肢が大切な場面もあるでしょう。しかしその逃避には、多大な『罪悪感』があり、形としての結果は A さんの望んだ通りになったものの、察するに、なかなか辛そうでした。

一方もうひとり、B さんからは、とあるプロジェクトの LINE グループ内で報告を受けました。

B さんはクリエイティブ系に大変優れたスキルを持ち、その業務実績も多いのですが、この数年は一企業の社員として仕事を請け負っていて、収入安定はしているものの、時間の捻出が困難な状態が続いていました。その為、B さん個人に新たな案件の相談が持ちかけられても、対応が難しい状況でした。

昨年冬、そのとあるプロジェクトでは、クリエイティブな部分を担当していた方が急遽外れることとなり、代打として僕が B さんを推し、加入の流れになりました。B さんからは「大変ありがたい話ではあるが、必要な時間が確保できるか、また、決まった日程を空けられるか不明瞭な部分が多い」と『不安』の吐露もありましたが、B さんなりのベストな対応で、業務を請け負ってもらうことになりました。

そして、このプロジェクトへの参加が大きな後押しとなり、勤めていた会社を辞める流れに至り、自身のクリエイティビティを発揮できる環境へと『勇気』を持って、第一歩を踏み出したのです。

良い/悪い といった二元性の話ではありません

ここで述べたいのは「A さんはダメで、B さんは良い」といったことではありません。
A さんの逃避が幸運に繋がることもあれば、B さんの勇気がとんでもない後悔に変わることだって、十分にあり得ます。

ある出来事の側面だけを切り取って、良い/悪い を端的に述べることなどできないのです。
別にそうしても構わないのですが、するとそれは盲目という『罠』に成り代わります。

「会社を辞めること」一つ取ってみても十人十色で、それを良いとか悪いとか、誰にもジャッジはできませんし、逆に、誰にでも勝手にジャッジができます。どちらか一つの道には「後悔がない」だなんて決して言えません。言うならば「もし、どちらの道を選んでも、結局 “後悔する” のだとしたら、アナタはどちらの道で後悔したいのか?」といった、究極の選択です。

……でもここで気が付いてみましょう。
実はその後悔、幸せと置き換えても、全く同じなのです。

もし、
どちらの道を選んでも、
結局 “幸せになる” のだとしたら、
アナタはどちらの道で幸せになりたいか?

物事の本質とは?

アナタはどの道を選択しても「結局は幸せになってしまう」のが確定しています。
これは慰めや励ましの言葉などではなく、ズバリ『本質』そのものです。

だから、時には逃避したって、罪悪感に押しつぶされそうになったってかまわない。
時に不安を口にしたって、無謀かもしれない勇気に後押しされて行動しても、全くかまわないのです。

全ては許されています。
もう既に、です。

だから今日という一日を、目一杯に味わって生きましょうよ。
僕たちはいつもいつでも、大丈夫ですから。