スピリチュアルのクソなところ

「頑張らなくて良いんだよ」って言葉に、お前の〈思考〉がホッとしたなら、お前は頑張った方が良い。

スピリチュアルのクソなところは、ロジックが巧み過ぎて、何でもかんでも肯定の立ち位置になり、決して「反省などせずに済む」仕組みになりがちなところだ。だから「これはベストなことが起こった」などと述べたりする。確かにその通りだが、当事者自身がそう言うと、案外、負の連鎖が続いたりする。

「ありのままで良いんだよ」も一緒。ありのままで良いはずないだろ!って人も多い。言葉だけを物差しにして、この違いを見抜けない人が、人様にアドバイスをするようになると、スピリチュアル難民がどんどん増えるようになる。それはそれで、なんだけど。

スピリチュアルは比喩に優れ過ぎている

スピリチュアルは物事を「なんとなくわかった気にさせる」のに長けている。色んな物事に上手く当て込められるし、ある段階においては、それでなかなか上手くいくことも多い。短期的にはそれでも良いのだが、長い目で見るとよくあるパターンとして「フワフワして、まるで地に足がついていない」状態になるケースが多々ある。

1年前と比べて、知識が増えたが、状況がそんなに変わってないか、むしろ悪化している部分が目立つなら、現実的な部分を改めて見直すべきだ。まさに『地に足をつけろ』と。

どれだけ目覚め、悟り、霊的に優れているのだとしても、おれたちがこの三次元世界で人間の肉体を持って生きている限りは、無視できないことは多い。どれだけ面倒でも〈生活〉はちゃんと存在しているし、決して無視できない。スピリチュアルの比喩が、巧みに慣ればなる程、それを上手に無視する傾向にある。言葉が本質を捉えようとも、己の行動が伴っていないのなら、そのバランスにむしろ苦しむことが増えるだろう。

人格や能力とも無関係

スピリチュアルの何かに長けていることと、その人の人格を関連付けて見るのも非常に危険だ。それこそ比喩的に他のものと比べてみれば、すぐに気がつけるはず。悟ったら間違えないわけではない、悟りと間違え云々の間に関連性はない。億万長者には良いやつもいれば、悪いやつもいる。トップアスリートだから性格が良いとか、子供はみな純粋だとか、ヴィーガンこそ霊性が高いとか、何かと何かを関連付けて捉えて、ずっと固定したままだと、思わぬ落とし穴がある。

自分の目を曇らせているのは、いつでも自分なのだ。

根性論は古いが新しい

自分が嫌がる言葉の中に、あえて飛び込んでみると良い。スピリチュアルの美しい言葉と同じくらい、人間らしい泥臭い言葉を愛してみよう。唯一の至高の教えなど無いのだ。もしそんな言葉を抱きかかえ大切にしているのなら、今スグ、ゴミ箱に捨ててしまえ。お前はお前の大事にしている教えによって、むしろ苦しんでいる。スピリチュアルの全てがクソだとは言わないが、もし素晴らしさ “しか” 見えていないのなら、自分自身がクソになってる可能性すらある。

スピリチュアルを言い訳に使うな。それは、トランプのジョーカーのように便利過ぎる。全面に押し出すのではなく、生活のちょっとしたところに、嫌味なくそっと置いておくくらいが丁度いいのではないか。バランスを崩すほど傾倒するのは、どこか間違っている。過ちを認めること。反省はとても大事。そんな自分を愛せたら、それで良いじゃないかってのが、本質的なスピリチュアルだ。

根性を出せ。頑張ることだって美しい
そういうことだって、宇宙の中には含まれているのだ。