実は「悩み」が「終わる」ことはない、生きている限り

お金で悩んでいる時は「○○円あれば、全ての悩みが解決するのに」と考える。
恋愛なら「素敵な恋人がいれば――」と。
身体なら「この部分さえ治れば――」と。
人間関係なら「あいつさえ――」などと、切りがない。

そういった “切りがないこと” に思考を絶え間なく巡らせることこそが『思考の特性のひとつ』である。

悩みが「悩み」としての形を保つためには……

悩みを「解決しようとすること」こそが、悩みが悩みとして存続するための唯一条件である。
それは決して「解決しようとすることが悪い」というわけではない(その試みが実りを生み出すことだって多々ある)。

問題は「解決しなければ、自分はずっと満足のいかない人生を送ることになるのだ」と自らを苦しめてしまうケース。もしそんな風に、悩みによって、自分の人生が苦しいものに成り代わっってしまうのならば、いっそ『悩みは解決しなくて良い』のだ。

悩みのパラドックス

悩みに対して、悩まなくなると、悩みが悩みでなくなるので、悩みそのものが消滅する。
すると、実際に悩ませていた対象も(認識にそった現実的な過程を経て)綺麗に消え去る
誠に不思議であるが、これが本質の視点だ。誰しも一度は体験があるだろうと想う。

そうはいっても「現実」では……

現実に自分を合わせてはならない。
自分に現実を合わせさせるのだ。

それは現実的な側面での「励みの言葉」とも言えるが、間違いなく『本質の視点』である。
現実は自分の思った通りにはならないが、自分の認識した通りに現実は展開している。

悩みたきゃ悩め、とことん

哲学でも本気で勉強してみたら良い。おれ達が悩めるパターンなんぞ、とうの昔に網羅されているし、宇宙始まって以来唯一の悩みなど、悩めるはずもない。おこがましさを知れば、同時に足ることを知れるかもしれない。とことんの方向に行っても良し。どっちに転んだって損にはならない。

悩んで答えを出すには人生は短すぎる。
悩んで苦しみ続けるには人生は長すぎる。

今、目の前が苦しいのなら、お前は影を見てるということ。
それは、背中に光は当たっていることの証明でもある。
振り返って見ろ。生きることの素晴らしさが眩しすぎるくらいだ。