新型コロナウイルス問題の影響で就職内定が取り消しになった

新型コロナウイルス問題の影響で就職内定が取り消しになった
やっとの思いで就職が決まっていたのに、今回の新型コロナウイルス問題の影響の煽りを受け、内定が取り消しになってしまいました。
就職予定だった会社の人にも説明を求めて、何とかお願いもしたんですけど、何も変わりませんでした。
今更何をどうして良いのかわからず、情報を集めてはいるのですが、同じように苦労している他の人も多く、只々混乱してしまうばかりです。
家族や友人たちには「仕方ないね」とか「運が悪かったね」とか言われますが、なんで私だけこんな目に合うのでしょうか。

思い出して悔しいのは、他にもっと気になっていた会社も沢山あったんです😡
最終的に、少し妥協した部分もあって選んだところだったので、その先でこんな目に合うなんて、過去の自分をひっぱたいてやりたいくらい👋🏻

社会人生活が始まる前につまづいてしまうなんて……この怒りと悲しみの矛先をどこに向けて良いのかわかりません🤯

それはお気の毒に……お気持ちお察しします💦

社会的な大きな問題でも、その影響を多く受ける人も居れば、殆ど受けない人もいます🌀
今回の問題は「まさかそこまで」と対応が遅れてしまった人も多かったと思います💨

不可抗力なのはわかってるんですけど、気持ちが納得いってないんです🥵

そしたら、まずは現実的な観点から見ていきましょうか💡
もうすでに散々考えられたかもしれませんが、この後のステップの確認だと思って、今一度見てみましょう👀

はい……😥

例えば、今回の新型コロナウイルス問題があり、あなたの就職予定だった会社は、その影響を受けたが、なんとかあなたを採用したとしましょう。その場合、この問題は起こらなかったですか❓

であれば、内定取り消しに、路頭に迷うことは無かったです☹️

しかし、新卒採用者を取り消すほど、危うい状況の会社に就職しても、就職後に、何かしらの問題が起こる可能性は高かったのではないでしょうか❓

就職してしまえば、時期が来て、新型コロナウイルス問題を乗り切って、そんなことなかったと思います❗

乗り切れなかった場合はどうなりますか❓
乗り切れるという約束はされていませんし、もしかしたら会社そのものが無くなることもあります💨
その業種全体が冷え込んで、今回の出来事が引き金に、成り立たない商売も出てくるかもしれません💦

……そしたらこの会社を選んだ時点でダメだったということですか❓

最終的に選んだ理由が何にせよ、その当時は、今回の問題が起こることなど、微塵も思い浮かばなかったのではないでしょうか❓

……じゃシンプルに「私の運が悪かった」ってことですか😢

そこを見つめ直してみましょう❗
なぜ「悪かった」と決めるのでしょうか❓

なぜって、就職したかったのに、それが出来なかったから、悪いに決まってます❗

そこに就職したことによって、もっと悪いと思う状況になる可能性はありませんでしたか❓

そんなのわからないじゃないですか😣

そうです❗
『そんなのわからない』のに、なぜ「悪かった」や「悪い」と決めるのでしょう❓

……。

1つの出来事を取り上げて「良い/悪い」とは決められないものです❗
もっと言えば、出来事は常にニュートラルであって、見方によって「良い/悪い」どちらのラベルも付けられます🙌🏻

今回の災難もポジティブに考えるべきってことですか❓

ネガティブからバランスを取るのには、それも良いかもしれません……ただより望ましいのは、出来事は常にニュートラルだと知り、そして「良い/悪い」のラベルを付けているのは一体誰なのかと、それに気付くことです❗

……結局「私が悪い」って話ですか❓

まさに今っ❗
その〈悪い〉のラベルを付けてるのは一体誰なのか、気付いてみてください💡

私はラベル貼り職人。日々せっせとあらゆる物事に……

普段の〈私〉はあらゆる物事に、ラベルを貼りまくります。
それを止めようとしたって無駄です。
何故なら。
〈止めたほうが良い〉とか〈止められなかったら悪い〉というのも、ラベルだからです。

この普段の〈私〉は、ラベル貼り職人で、それを休むことはしません。
それが〈私〉の役割であり、特性だからです。

〈私〉がどんなラベルを貼るかは、主に、過去、見聞きしたデータを参考にします。

内定もらったら〈良い〉
面接に落ちたら〈悪い〉
給料もらった〈良い〉
仕事が忙しい〈悪い〉
嬉しい〈良い〉
悲しい〈悪い〉

それが合ってる/間違ってるなどと、関連付けしません。
何故なら〈合ってる〉も〈間違ってる〉もラベルだからです。

ラベル貼り職人〈私〉は永遠に止むことはないのでしょうか?

いえ、止まります。
次のことを見てみましょう。

もしかして……
その〈私〉も、ラベルではありませんか?
主に、過去、見聞きしたデータを参考にして、作られたラベルではないでしょうか?

……ちょっと混乱してますが😶
つまり、私は今回の出来事に対してラベルを貼って決めつけてるけど、本当はそのラベルは間違ってるかもしれないってことですか❓

それだと〈間違ってるかもしれない〉というラベルを貼り直してるだけですので……
そうではなく、ラベルを剥がしてしまいましょう。そうすると何が残りますか❓

えぇと……そしたら、ただ「出来事」だけが残りますね😶

その通りです❗

でもそうは言ったって、どうしても私はラベルを貼ってしまいますよ😑

その〈私〉もラベルだとしたらどうでしょう❓

つまり「Aの出来事にはA’のラベルを、Bの出来事にはB’というラベルを貼ることにしている〈私〉というラベル」だとしたら……いかがでしょうか❓

……でもこれは〈私〉だし、剥がしようがないですよね❓

「これは私だし剥がしようがない」というラベルを貼っている〈私〉というラベル……だとしたらどうでしょう❓

う〜ん、混乱します😱

では、その〈私〉を Doing と呼びましょう💡
色んな物事にラベルを貼る……ラベリングしていますから👆🏻

Doing はラベリングが役割です👆🏻
かつ〈Doing〉自身もラベルです💡

……ってことは、Doing が内定取り消しに〈悪い〉とか〈悲しい〉とか〈怒り〉のラベルを貼っていて、それは〈Doing〉というラベルの役割だし仕方ないってことですか🙁❓

まさにその通りです❗

でもそれだと何の問題も解決してませんよ😭

〈問題解決した〉とか〈問題解決してない〉とかも、全部〈Doing〉のラベリングなので、Doing が動き続ける限り、ずっと解決した/してないを行き来つし続けることになるんですね💧

……じゃあ〈Doing〉というラベルはどうやったら剥がせるんですか❓

〈Doing〉というラベルを「剥がす」ことはできません💦
それは〈Doing〉によって〈Doing〉自らを剥がす試みになるので、大抵上手くいきません💧

……じゃあどうしようもないんですね😅

「剥がす」ことは出来ませんが『剥がれる』ことはあります🙌🏻
それは Being によってです💡

Being っていうのは『在る』ってことですか❓

そうです❗
《新型コロナウイルス》とか《就職希望だった会社》とか《内定の取り消し》とか……
本来は名もなき出来事がただ在ったように、本当のあなたという Being が今ここに在ります!

本当の私はただ在るのみ。今ここに……

《本当の私》はあらゆる物事に、ありのままの本質を見ます。
それが《本当の私》で在り、特性だからです。
《本当の私》にラベル剥がしが容易なのは、常に『今ここ』に在るからです。
過去のデータも、未来の予測もありませんので、ありのままを捉えます。

内定もらった〈  〉
面接に落ちた〈  〉
給料もらった〈  〉
仕事が忙しい〈  〉
嬉しい〈  〉
悲しい〈  〉

ただ物事が在り、そこには何の関連付けもありません。
何故ならラベルが剥がれた本質そのものは『愛』だからです。

『愛』は無感動だったり、淡白なのでしょうか?

いえ、違います。

『愛』は、無邪気で、楽しく、ワクワクします。
『愛』は、歓び、感動があり、素晴らしさを享受します。

そんな『愛』を探していますか?
いえいえ、探さなくて大丈夫。

すでに述べた通り『今ここ』に在るのですから。

焦ったり、戸惑ったり、落ち込んだり、苦しんだり、そういったことは全て〈Doing〉の成すところ。
そのラベルが剥がれ落ちれば、残るのは Being 即ち『愛』です💡

もっと大きな視点で言うなら、愛が愛に気が付いて欲しくて、そういった出来事を起こしているとも見えます👀

今回の内定取り消しもですか❓

「普通に考えたらあり得ないことが起きた、何故、私に?」というような出来事は、Doing から見れば耐え難いですが、だからこそ Being に気が付きやすいのです。これからどうなるのはわかりませんが、であればいっそ「わからないこと」を楽しんでみるのも良いかもしれませんよ❓

あんまり先の心配をしても仕方ないってことですよね❓

その「先の心配をしていた」のも『今ここ』ですしね♪

ほんの少しだけですけど……なんか、ちょっとワクワクしてきました😀

ピンチに見えることに、不思議とワクワクを感じられるのは、まさに Being が気が付いているからです⭐️
大丈夫です、何が起きても、起きなくても。愛を信じ切ってみてください❗

心配しても/心配しなくても、どっちでも大丈夫♪

もし Doing の振る舞いによって、沢山の心配をしてしまっても。
Doing が何とか心配を静めようと、沢山の手を講じようと。

あなたはいつでも大丈夫です。
常に Being が気付き続けていることを、信頼してみてください。

それでも Doing は、安心を探し続けてしまうかもしれません。
そんな時は「探す」という振る舞いを、ちょっと離れて見てください。
Doing による自作自演だと、発見できるかもしれません。

どうか、安心は探さないでください。
『愛』ほど安心なものはありません。
いつでも『今ここ』に在りますから。