RAINOWL Vol.2

雨宿鳥 〜 あまやどり
リョータは《愛のリマインダー》としての対話に少し迷いが生まれていた。
察したかのように訪れたのは、一羽のフクロウだった。

はじまりは……

いつも雨……ですか❓

その通り。

……。

迷ったのか、何かに。

お見通しですか💦

悪くないぞ、迷いは。
悪くなるのは「迷い = 悪い」と決めた時、他ならぬ。

「頭ではわかっていても……」という時には、何か良いアドバイスはありますか❓

手放すことだな、それを。
お前もだ、お前がいつも言うようにな。

他人にアドバイスをするのと同じように自分自身にも

他人へのアドバイスが上手くいくのは、そこに〈自分〉を介入させていないからです。
自分自身へのアドバイスが上手くいかないのは、そこに〈自分〉を介入させている為です。

この〈自分〉とは Doing。
つまりエゴや自我と呼ばれるもの。

Doing から離れ、Being を感じてみましょう。
離れられない時は「離れられない」という Doing を観察してみましょう。

やっぱり「再確認」というのは大切なんですね🙌🏻

「再確認」ではないからな、本当は。
表面上は「再び」に見えるが、それは『成長』という次の階段だ。

ま「あえて言うのなら」だがな。

それはテクニカルなことの成長なんですか❓

Doing の扱いが上手くなる、といった意味合いではテクニカルと言えるな。

それも含めての《循環》に過ぎん。

楽しんだら良い。
楽しめぬ、ということをもな。

あらゆるものを「楽しめる」視点で見てみよう

その視点とは何処にあるのでしょうか?
例えば、ゲームだとしたら、何一つの困難なく、主人公がただ道を進むだけなのは、間違いなく「クソゲー」と呼ばれてしまうでしょう。

ゲームのキャラクターの視点(Doing)ではなく、ゲームのプレイヤーの視点に立ちましょう。
もっと言えば、ゲームのクリエイター、プログラマーの視点に立ち返りましょう。
それこそが Being です。

何で気を抜くと Doing の視点になってしまうんでしょうか❓

此処に来たからだ、それをお前自身が望んでな。

「此処」というのは『地球に人間として生まれたから』といった意味合いですか❓

そう。
だから「悪い」ことなど無い。
何一つだ。

ま「悪い」と思っても構わないがな。
その自由は与えられている「いつでも」だ。

ありがとうございます❗
また光が差した気がします💫

光は差している「いつでも」な。
開けば良いだけだ。
目であれ、ドアであれ、ハートであれ。

その通りですね❗

『ハートを開く』のは、あらゆる全てのコツのよう

ハート開いてしまうと、余計なものが入り込んでしまいそうな、恐れや不安がありますか?
いえ、その恐れや不安は〈閉じていること〉で現れているものです。

「大丈夫だ」という「保証を欲しがる」その気持ちこそが、恐れや不安を生み出しています。
「大丈夫だ」と『全面的に信頼して、委ねてしまう』思い切りが必要です。

それに、ハート開けば、恐れや不安は一切消えてしまいます。
多少は、閉じていた名残があるかもしれませんが、それも最初だけ。

自転車の漕ぎ出しだけ、ペダルが重いのと一緒です。
スピードに乗れば、むしろペダルは軽いのです。