任されていた仕事を大失敗に終わらせてしまった

任されていた仕事を大失敗に終わらせてしまった
小さな会社で営業の仕事に就いています。
社内の誰もが「ほぼ決まるだろう」と見込んでいた取引を、失敗に終わらせてしまいました。
もちろん、契約に至らなかったことには、様々な要因があります。
それでも「私がもっと上手く動いていたら、あるいは……」という後悔の念が拭えません。

その営業先の担当の方から、うちの会社ではなく、他社に決定した理由なども、丁寧に説明して頂けたので、決して悪い雰囲気ではありませんでした😓
現実的な予算面のことが大きかったのですが、それでも「私がもっと上手く取りまわっていたら、それも含めて上手くいったのではないか」という思いがあります💧

実際、社内で社長を含めた反省会を行った際「私がこうやって動いていたら、予算面もクリアし、適切な見積価格で、契約を獲得できていた」というルートが、パッと見えたのが、逆にショックでした😧
「何故それを、もっと早い段階で気が付けなかったんだろう」って、後悔してしまいます😩

そして、社長は「仕方ない」と励ましてくれますが、何故かそれが腹立たしく感じてしまってます😡

打ち明けてくれて、ありがとうございます……
久しぶりの〈対話〉なので、ちょっと緊張しますね

いえ、こちらの話です💡

はい、よろしくお願いします😶

出来事を振り返って「◯◯してたら」とか「◯◯してれば」と思考を巡らせてしまうことを〈タラレバ〉なんて言い方をしますが、これはどの分野においてもありますよね

『逃した魚は大きい』なんて “ことわざ” がありますが、思考の中での魚は、実際のサイズよりもずっと大きくなっているし、そして「大きくなり続けてしまう」のかもしれません

確かに、後から考えてしまうのは〈タラレバ〉ですし、それは意味がないことなのかもしれません😓
でも、実際にそれは “大きな契約” だったし、契約が成されていたら、うちの会社としても大きな利益、そして発展と飛躍も期待できたのは、確かなことです❗️

いえ、本当に確かだと言えることは『起きることが、ただ起きた』ということですね

起きることが、ただ起きている

逆に言えば「起こらなかったことは、ただ起こらなかった」ということです。
この本質の視点には『大いなる癒やし』が発見できるのですが……。

これを思考(エゴ)で眺めると、
「起こったことは、起こって欲しくなかった」
「起こらなかったことが、起こって欲しかった」
という〈不足の在り方〉から逃れられません。

それもある段階では「次こそは頑張ろう」といった感じの、行動のモチベーションに変換されることもありますが、多くの場合、やがて〈負のスパイラル〉にハマり込みます。

これには『あきらめ』が必要です。

『あきらめ』とは「起きることが起きたなら仕方ない」と悲観したり、卑下することではありません。
「起きることが、ただ起きたのだ」と、そう『あきらかにみる』ことが、大切なのです。

「起こらなかったことが、起こって欲しかった」と、思考が過去を描く時、例外なく〈自己否定・自己卑下〉の道を歩むことになります。
それは実態のない幻にチカラを与え、自らが苦しむように仕向けていること他ならないからです

起こったことを、何の色付けもせずに、ただフラットに眺めてみましょう。それは『観察』と言っても良いかもしれません

でも、私自身の「後悔の念」というのは、どうしたら良いのでしょうか❓

出来事を観察するように、ご自身の思考や感情も “ただ観察する” のはいかがでしょう

すると結局の所、私が頑張っても/頑張らなくても、結果は変わらなかったし「何の意味も無かったのかな?」っていう、ちょっと無気力な感じになってしまいそうなんですが😓

そんな時は、自分自身の『在り方』がどうなっているのかを、ただ眺めてみると良いかもしれません

何か欲するのは、
自分を〈不足の在り方〉に固定する

無いものに対して「 “それ” があれば良かったのに」と欲することは『 “それ” は無い』という〈不足の在り方〉に、自らを固定するのとイコールです。

〈不足の在り方〉は「 “それ” があれば良かったのに」という、後悔の出来事を展開する世界を創り出します。

自分自身の『在り方』が、展開する世界を決めています。

欲することや、後悔が悪いわけではありません。

ただ “自らがそれを選択していること” を認められなければ、大抵は〈負のスパイラル〉の中にいるのに気が付かぬまま過ごすことになります。

つまり〈不足の在り方〉によって後悔の出来事を創り出し、その出来事を見て、更に〈不足の在り方〉を強固にし、また後悔の出来事を展開させる……といった具合です(多くの方がこれにハマり込んでいます)。

「欲する」のではなく『選択したのだ』と、まずは受け入れてみましょう。
これは「現状に我慢する」ということではありません(それは不足の在り方です)。

思考(エゴ)から見れば、到底納得し難いでしょうが『ベストなことが起こった』と認めることです。

何処をどう考えたって「ベストなこと」では無かったと思います❗
先程も言いましたが「契約が取れて、会社が潤って、更に発展すること」がベストなこと他なりません😡

でも、今回の件がキッカケとなって、更に大きな契約が取れることに繋がっている……という可能性もありますよね❓

可能性の話をしたら、何だってあり得ることになっちゃうじゃないですか❓

そうです💡
何だってあり得るのに、何故その中から「これは失敗で、後悔すべきことだ」という認識を選択するのでしょう❓

でも、現実的に考えて、あり得ることと、あり得ないことってありますよね❓
「あの時◯◯してたら――」っていうのはタラレバかもしれませんが、でもそれってあり得たことだと思うんです❗

起きることが、ただ起きている』というのが現実ですね💡
「あの時◯◯してたら――」という思考で解釈する「起こらなかったことが、起こって欲しかった」というのは、現実逃避であり、そのような〈負のスパイラル〉は断ち切らなくてはなりません❗

じゃあ結局は「次また頑張る」っていうくらいしか無いっていうことですよね❓
もちろん頑張りますけど、たぶん私が聞きたいのは「次こそは成功するやり方」みたいなことなんだと思います🤥

もっと言えば「全て思い通りに願いを叶える方法」みたいなことです👀
急に突拍子もない魔法みたいな願望になっちゃいましたけど、でも素直なキモチで述べれば、ちゃんと自分の期待した通りに物事が上手くいって欲しいし、仕事もそれ以外も全部、ちゃんと成功を収めて、欲しい物を何もかも手に入れたいんです❗️

つまり、今現在のあなたは「自分には無いものが沢山ある」といった認識でおられる……といった感じでしょうか❓

もちろんそうです❗
「自分に無いもの」を手に入れたいし、これから手に入れられるように(それらの願望を叶えられるように)頑張っていくしかないって思ってます😤

これはちょっと飛躍した視点に映るかもしれませんが……でも、これまでのメッセージと本質は一緒なので、お伝えさせて頂きますね💡

全ては『在る』
そして『願望は二重に叶えられない』

まず最初の重要な点として、全ては『在る』ことを認めてみてください。

「いやいや、自分には◯◯が無いよ」
と反論されるかもしれません。

例えばそれが〈お金〉という物質的なものでも、〈成功〉という概念的なものでも構いません。

それらの認識が『在る』からこそ
「いやいや、自分には◯◯が無いよ」
と、思考(エゴ)で解釈できるのです。

本当に『無い』ものは、◯◯の中に思い浮かべることすら不可能です(何故なら “無い” のですから)。

次に重要な点ですが、それは『あなたの願望は “既に” 叶っている』ということです。

「いやいや、自分には◯◯が無いよ」
↑ということを、あなたは “既に” 叶えています。

そして『願望は二重に叶えられない』ので「◯◯が無い」を叶えながら「◯◯がある」を重ねては叶えられないのです(これは法則と言っても良いでしょう)。

これらのことは、思考(エゴ)で納得するのは大変難しいです(不可能と言っても良いかもしれません)。
何故なら、思考(エゴ)こそが “無いという幻” を生み出す根源だからです。

何かよくわからないんですけど、それって自己啓発的なものですか❓
ある種の〈現実逃避〉にも見えるんですが……👀

いえ、現実逃避というよりは、むしろ『現実直視』ですね💡
現実を “あきらかにみる” ことを選択せず、思考(エゴ)の解釈で、実態のない幻にチカラを与えたままだと、この『在る』が腑に落ちるのは、非常に難しいかもしれません

でも、それを難しくさせているのは、自らの思考(エゴ)ですので、実際のところは『とてつもなくシンプル』なんです💡

つまり、そういう〈考え方〉ってことですか❓

いえ、考え方ではなく『在り方』であり、むしろ「考え方から離れること」とも言えるかもしれません😃

「次こそは成功するやり方」ではなく『既に成功していた在り方』です❗
「全て思い通りに願いを叶える方法」ではなく『全ては認識の通りに願いは叶っていたことの発見』という感じでしょうか💡

……ちょっとだけですが、何かを掴めそうな感覚がしてきました😶
少なくとも、過ぎ去ったことを後悔して自分を責め続けても、何にもならないし「それは止めよう」って、素直に感じられました🌱

あらゆる全ての瞬間に、その気付きが隠れています👀
(隠れている、というよりは、隠れてなさすぎて、逆に気が付きにくいという罠です)

『起きることが、ただ起きた』という “ありのまま” の本質を、ただフラットに眺めてみてください❗

ありがとうございます😀

世界は「あなたの思った通り」ではなく『あなたの認識した通り』に展開している

思考(エゴ)には残念なお知らせかもしれませんが……。
この世の中に「願いを叶える究極の方法」というのはありません(あり得ません)。

何故なら、あなたの「願いを叶える」という認識が「願いは叶ったり/叶わなかったりするものだ」という属性を与えているので、あなたの世界は、間違いなくそのように展開していることでしょう。

これらの本質は、願いを叶える方法(Doing)ではありません。
願いは “既に” 叶っている、という在り方『Being』なのです。

あなたの目の前に映し出されている世界は、あなたの『在り方』が反映されています。
このことによって、是非とも気が付いてみてください。

実際の所、本当のあなたは、あなたに『幸せで在って欲しい』のでしょう。
もし、あなたに映し出されている出来事が「幸せとは言い難い」ことばかりなのでしたら、実はそれは “ヒント” だったりするのです。

とんでもない失敗が目覚めのキッカケになるのは、その為です。