「私が生まれる前のことなのに、私が選択した?」
到底認められないと思いますが、これもまた認めてみませんか?
少し視点を変えて、こんな風にも見てみましょう。
あなたが生まれたのはいつですか?
「○○年の○月○日」
それは〈私の身体〉が、母親の胎内から出てきた誕生日です。
その前にすでに、母親の胎内で生まれていませんでしたか?
であれば。
父親の精子が母親の卵子に出会った瞬間でしょうか?
いえ、父親の精子も、母親の卵子も、その前に生きていました。
であれば、元々〈私〉は分裂していたのでしょうか?
〈私の始まり〉は、いつ、どこからだったのでしょうか?
そこからずっと辿ってみても〈私の始まり〉を見つけることはできないのではないでしょうか。
もう一度、視点を変えてみましょう。
そもそも「始まっていたのか」どうか。
〈私の始まり〉を見つけられないのであれば「始まっていない」のかもしれません。
しかし〈私〉は今ここにいる実感がありますよね?
『私は誰?』
《本当の私》とは、普段あなたが考える「これが私」よりも、実は、もっともっと壮大なのかもしれません。
『私は誰?』
《本当の私》とは、始まってもいなければ、終わることもない《永遠の存在》なのかもしれません。
『私は誰?』
《本当の私》が、これまで不在だったことはありましたか?